印刷つれづれ:第10回 蔦重の活躍
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蔦重ってどんな人?
2025年のNHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)〜」では、横浜流星くんが生き生きと活躍していますね。主人公の蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)は実在した人物で、寛延3(1750)年〜寛政9(1797)年の、江戸時代中期から後期にかけて活動した版元です。大田南畝、山東京伝、喜多川歌麿、葛飾北斎、東洲斎写楽などの多数の作家、浮世絵師の作品を刊行していきました。本名は柯理(からまる)、通称は「蔦重」で、ドラマの中では平賀源内に「耕書堂」という名をつけてもらっています。
蔦重は、寛延3(1750)年吉原生まれ。7歳のとき喜多川家(蔦屋)の養子となり、吉原大門の近くで本を扱う商売を始めます。吉原を案内する「吉原細見」や浄瑠璃の富本節の本、往来物(手習いや稽古事の教科書)の出版を行い、後に日本橋通油町(とおりあぶらちょう)に進出し、江戸を代表する版元に加わります。(そのあたりは大河ドラマでも描かれていましたね)
大田南畝(おおた なんぽ)とのつきあいで雑司が谷にも?
蔦重は狂歌界の筆頭だった四方赤良(大田南畝)など多くの狂歌師とつながりを持ちますが、大田南畝は、雑司が谷に住む戸張富久(とばり とみひさ)とも親しい間柄でした。
雑司が谷にあった富久の家は「藪そば」の発祥の生家で、富久自身は、刀のつばなどを製作する高名な金工師でした。富久の呼んだ句は、蕣塚(あさがおつか)に刻まれ、南池袋の法明寺の境内に鎮座しています。大田南畝に連れられて、富久の実家「藪そば」に蔦重も蕎麦を食べに来たのかな?と想像してしまいますね。
「寛政の改革」に苦しみ
やがて松平定信が老中になると、華美な風俗は取り締まられ、「寛政の改革(1787〜1793年)」が行われます。蔦重による出版も天明年間に比べ縮小しますが、その後喜多川歌麿による浮世絵「美人画」や東洲斎写楽による役者絵などを手掛けます。
しかし蔦重は、志半ばで病に倒れ、寛政9(1979)年に47歳で亡くなります。
江戸の名プロデューサーだった蔦重は、大河ドラマにも取り上げられて現代にも名をはせているのですから、「時代を創った人」と言えますね。
年末に向けドラマがどう展開していくのか楽しみですね。
実は、弊社では「黄表紙總覧 全五巻」(棚橋正博著・青裳堂書店)や「赤本黒本青本書誌」(木村八重子著・青裳堂書店)を印刷しています。蔦屋重三郎が作った黄表紙などの資料が満載。興味のある方はぜひ手に取ってみてください。
※現在の書店・レンタルビデオの『TSUTAYA』ですが、創業者の増田宗昭さんは、1983年の創業時には蔦屋重三郎については知らず、祖父が使っていた屋号『蔦屋』を使ったとのことで、蔦屋重三郎とは関係ないそうです。