印刷つれづれ:第9回 版元(出版社)が生まれた江戸時代
2025年08月27日
印刷つれづれ
- #印刷
江戸時代は印刷(木版)が盛んに
徳川家康は活字を使った書籍の出版を積極的に進めました。慶長4(1599)年から同11(1606)年にかけて、伏見において木活字(木製の活字)を、元和元(1615)年から翌年にかけては銅活字(銅製の活字)を用いて、『論語』や『群書治要』をはじめとする漢籍や、『日本書紀』、『吾妻鏡』など、多数の書物を出版しました。これらの印刷物は「伏見版」「駿河版」と呼ばれ、家康の文化事業を代表しています。
けれども、これらは部数も少なく「商業出版」ではありませんでした。商業出版が主流となっていったのは、寛永年間(1624〜1644年)以降で、活字本ではなく、木版本が中心となります。
「出版」を生業とする人たちが誕生
ジャンルも文学、仏教書、歴史、本草学、医術などに広がり、それに伴い出版を生業とする人(版元)が現れました。まずは「上方」、寺社の多い京都・大阪で、大阪の泉本八兵衛、荒砥屋孫兵衛、京都の橘枝堂などが、儒医書や、禅書などの各宗派の宗教書や和歌に関する書といった学術本を取り扱っていました。
それら上方の書物問屋が江戸に出てきて、江戸にも書物問屋(辞書や学術書を扱う版元)や地本問屋(小説などの娯楽書を扱う版元)が生まれます。大河ドラマ「べらぼう」にも出てきた鱗型屋は、万治3(1660)年に大伝馬町(現在の東京都中央区)に店を構えた、江戸でも古くからある地本問屋です。