「四谷怪談」の舞台、雑司が谷
- #池袋
鶴屋南北の「東海道四谷怪談」
9月に入りましたが、まだまだ夏は終わりそうにないですね。寝苦しい夜が続く毎日なので、日本に伝わるホラーな話、 鶴屋南北の「東海道四谷怪談」を紹介します。江戸時代は文政8(1825)年に初演された歌舞伎のお話です。まずストーリーを簡単に紹介します。
落ちぶれた武士、民谷伊右衛門(たみやいえもん)には、病弱な岩(いわゆる「お岩さん」)という奥さんと生まれたばかりの子どもがいましたが、大金持ちの武士の孫娘に好かれて、「今の妻と離縁して、この娘と結婚すれば裕福になれる!」と、奥さんがいるにもかかわらず祝言をあげます。武士の体面を守るため、「奥さんが間男と恋に落ちた」から離縁したんだという嘘をでっちあげ、また、新婦の祖父にあたる大金持ちの武士は「病気が治るから」と嘘をついて岩に毒薬を飲ませ、顔をただれさせます。その場にいて間男にでっちあげられた小平も岩とともに伊右衛門に殺され、戸板の両面に打ち付けられて神田川に流されました。
伊右衛門は殺人の罪さえも他人に押し付けますが、毎夜、岩と小平の幽霊に悩まされるようになります。そして、そのたたりで自分の両親も死に至り、自らも仇討ちにあってしまいます。
人の道にはずれると、必ず成敗されるというお話ですね。
「お岩さん」は毒によってただれた恐ろしい顔で有名ですね。肝試しの女幽霊のフォーマットにもなっています。「東海道四谷怪談」を読めば(私は現代語訳を読みました)、当時の武士の状況や「武士の体面」、「仇討ちの習慣」などがわかっておもしろいですよ。話の展開も巧み、お岩さんの描写も詳しすぎて、背中がぞくっとします。(江戸時代って理由さえあれば人を殺せてしまえるのかという驚きもあります)
舞台には雑司が谷も
題名に「四谷」と入っているので、舞台は新宿区四谷あたりだと思われがちですよね。実際、新宿区(四谷)左門町には陽運寺があり、境内にある秦山木の下にお岩様ゆかりのほこらがあったと伝えられ「お岩さんのお寺」とも呼ばれています。
しかし実は、「四谷」は「四家」のこと。豊島区雑司が谷と高田にまたがる「高田四家町(現:高田一丁目交差点あたり)」が殺人の舞台となっています。物語の中にも「ここは雑司ケ谷の四谷町。伊右衛門と岩が新居に定めた地である」とあります。江戸時代の地図を見ると、鬼子母神の参道が清戸道(現:目白通り)と交差している四つ辻に、「高田四家町」とあります。この四つ辻には江戸時代、4軒の大きな造り酒屋があったと言われています。物語は浅草から始まり、雑司が谷で殺人事件が起きた後、下町の本所あたりで呪われる流れとなっています。
どうして「四谷怪談」となっているかというと、どうやら江戸時代に新宿区左門町で実際に起きた事件(なので、新宿左門町にお岩さんのお寺がある)を参考に鶴屋南北が脚本を書いたからだそうです。しかし、殺人を犯したり、遺体を戸板に打ち付けたりするなど、激しく音が出るシーンがあるため、周囲に家のない寂しい場所にしなければいけなかったのと、戸板を川に流すため近くに川がある必要があったのとで、舞台として神田川が近い「高田四家町」が選ばれたのではないかと言われています。神田川にかかる「姿見の橋(現:面影橋)」あたりで戸板を流したのではと思われます。
今は、家がびっしりと建ってる高田四家町付近ですが、江戸時代は、鬼子母神への参拝客で賑わう門前以外は畑ばかりの寂しい場所だったらしく、それで鶴屋南北は物語の舞台に選んだのではないでしょうか。
参考:少年少女古典文学館23 高橋克彦「四谷怪談」講談社 1995
塩見鮮一郎「四谷怪談地誌」河出書房新社 2008
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