印刷つれづれ:最終回 戦後の消費社会を支えた印刷
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印刷産業全盛期
1960年代からの高度経済成長、大量消費社会では、新聞、雑誌、広告、パッケージなど印刷の発展も寄与しました。グラフィックデザインも研ぎ澄まされていきました。日本の印刷技術の精度の高さは世界に誇るものです。印刷産業は右肩あがりで、その繁栄は続くものだと信じられていました。
印刷技術も変遷
私が就職した頃はまだ活版で、原稿は鑽孔テープ(さん孔テープ)(自動パンチ機で穴をあけて、穴の有無で信号を記録する)となり、文章のとおりに活字を鋳造していきました。ひとつの記事を組むとそれを刷ってゲラとし、私たちはそれを校正します。赤字が入ると職人さんが棚から正しい活字を拾ってきて差し替えていました。イラストや写真は鉛の板の判子にして貼り付けていました。組み上がったら、その活字を組んだものから紙型(しけい)という、印刷機に巻く厚紙へと転写(凸凹を作る)して、その紙型が耐えられる枚数を印刷していました。インクを凸の部分につけて紙に転写するので、紙に文字の凹みができるのが普通だったのです。
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少し経つと、「電算写植というのができたのですよ」と印刷会社の営業さんがいらして、コンピュータに組み込まれた専用プログラムが組版作業を制御して自動的に文字を組み、印画紙に焼き付けるようになりました。それまで凸凹していた版が白黒の印画紙となり、それをフィルムにしてから(製版)、刷版(印刷機に巻く板)を作ります(手動写植は、一文字ずつ文字を選んで印画紙に焼き付けるしくみで、タイトルなどで使っていました)。
でも、振り返れば、電算写植の時代は短かったと思います。電算写植が主流となって、10年後には「DTP(デスクトップパブリッシング)」がやってきたからです。業界では「Macという黒船が来る!」と言われました。しばらくはDTPで組んだ後はフィルムに出力してから刷版にしていましたが、そのうち「CTP(Computer To Plate:コンピューター・トゥ・プレート)」という、データから直接刷版を作る方法に変わりました。たくさんあった製版屋さんは、すっかりなくなってしまいましたね。当時、写真を切り抜くときは、写真フィルムにえんじ色のシートを貼って、絵柄の周りを切り抜いていました(レタッチ)。腕のいいレタッチさんは高給取りでしたよ。
印刷産業の転換点は1991年
永遠だと思っていた「印刷」は、「デジタル」の登場で大きく変わります。「印刷産業は、1960年代後半から1991年までの25年間、一度もマイナス成長を経験することなく伸び続け、印刷産業の事業所数は2.4倍、従業員数は1.6倍、そして出荷額は17.6倍にもなった」とも言われています。
「DTP」が始まったころは、まだ「紙に印刷する」ことが主流でしたが、パソコンが普及し、インターネットが始まり、WEBが生まれ、PDFが登場すると、印刷産業は下降の一途をたどります。
「印刷」はなくならない?
この30年間で印刷出荷額はほぼ半分になったそうです。けれども、印刷はなくならないと私は思っています。いろんなものがデジタル化されていますが、紙ならではのメリットもあると思うからです。
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さて、「印刷つれづれ」の連載も、こちらで最後となりました。
私「二代目カープ女子」の連載も、今回で終わりとなります。長い間、ありがとうございました。