第2回 新人のころ(遠い昔…)
- #編集
手書き原稿の時代
私が大学を卒業して、週刊新聞の編集部に就職したときは、まだ活版の時代でした。鉛の活字を組み合わせて一つのまとまった組にしてゲラ刷りを行い校正した後、新聞紙面(全紙)に割り付けて、紙型(しけい…鉛の版から紙の版を作る)をとってから印刷機にかけていました。
まだワープロもなく、原稿はすべて手書きです。入社してしばらくは、庶務としてその日に発行されたすべての新聞を記事ごとに切り抜き(両面の記事を切り抜くために2部ずつ必要だった)、それを台紙に貼って年月日と新聞名を記入して分類していく作業を行ったり(過去記事としての資料となるのですが、この作業自体が、毎日世の中の動きを把握できる貴重な経験でした)、上司が殴り書いたミミズのような文字を解読して印刷会社でも読める文字で清書する、作家を訪ねて原稿をもらってくる、校正のイロハを学んで校正するなど、さまざまな雑用(すみません「庶務業務」です)をこなしました。特に校正記号は徹底的に叩き込まれました。
記事ひとつにたくさんの労力が
FAXはありましたが、家庭用のFAXはまだ普及していなくてどこからでもFAXで原稿が送れるわけではありません。遠隔地からの記事の送稿は基本電話でした。現場の記者から電話がかかってきたら、記者が読み上げる記事を紙に記していくという作業です。
また、俳優さんにインタビューをするときは、過去の雑誌記事を探すために世田谷にある「大宅壮一文庫(日本で初めての雑誌図書館。評論家・大宅壮一の雑誌コレクションを引き継いで、明治時代以降130年余りの雑誌を所蔵)」に出向き、関係記事を探し出してコピーし、取材前の資料としていました。インターネットが発達した今から考えると、本当にアナログだったな〜と思います。記事ひとつ書き上げるのに、ものすごく労力がかかっていましたね。
編集部内では毎週漢字テストがあるし、「記者ハンドブック」の用字用語(新聞で用いることができる漢字や、送り仮名等の基準)を覚えなくてはいけない、毎週の会議で企画をたくさん出さなくてはいけない、など、課題は山のようにあり、終電で帰る日も多かったです。泊まり込む男性社員も多く(そもそも女性編集部員は私を含めて2名しかいなかった)、朝出勤すると、ソファの上に毛布がこんもりとしていたり(寝てる)、そのテーブルの灰皿は吸い殻が山のようになっていて(時代ですね)、空気がよどんでいるのを窓を開けてリフレッシュするところから仕事が始まったものです。
やがてワープロが登場して手書き原稿がなくなり、活版から電算写植に変わったり、パソコンが登場して通信で入稿するようになったり、さらにMacでのDTPになり、CD-ROMを作ったり、WEB編集もやるようになって、印刷・メディアの変化を体感できたのは貴重な経験だったと思います。
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