上毛印刷株式会社

吾輩は電柱である―雑司ヶ谷霊園掃苔録(3)

吾輩は電柱である―雑司ヶ谷霊園掃苔録(3)

2023年07月26日
池袋ものがたり
  • #池袋

「漱石」の名の電柱
最近は電線の地下化が進み電信柱が減って来てはいますが、まだまだ町中では健在です。電信柱に名前がついているのをご存知ですか? 東京ではNTTと東京電力の電信柱それぞれに名前がついています。旧字名だったり、近くの施設の名前だったり、電線を引いた当時の建物や土地の名前に由来しているのかな?と思います。

その中でも「漱石(ソウ石)」という名前の電信柱が雑司ヶ谷1丁目にあるんですよ。狭い路地を歩いていてふと見上げたら見つけたんです。何年か前までは「漱石支」、現在は「ソウ石支」と記されています。

漱石の電柱

電信柱をたどって、「漱石」の名のついたものを探してみました。すると、南池袋4丁目との境あたりから下水道局までのコースと、日本女子大寮の角から旧雑司が谷保育園下あたりまでのコースがありました。

漱石の電柱ルート

お墓があるから?
不思議なのは、漱石は新宿区生まれ。漱石山房記念館も新宿区早稲田南町にあって、「漱石」という名の電信柱を豊島区雑司が谷に立てたのはなぜ?ということ。雑司ヶ谷霊園に漱石のお墓があるからでしょうか?

夏目漱石の墓

漱石の小説「こころ」にも雑司ヶ谷霊園は出てきます。

(前略)
 私はその人から丁寧に先生の出先を教えられた。先生は例月その日になると雑司が谷の墓地に或る仏へ花を手向けに行く習慣なのだそうである。「たった今出たばかりで、十分になるか、ならないかで ございます」と奥さんは気の毒そうに云ってくれた。私は会釈して外へ出た。賑やかな町の方へ一丁 ほど歩くと、私も散歩がてら雑司が谷へ行ってみる気になった。先生に会えるか会えないかという 好奇心も動いた。それですぐ踵を回らした。
 私は墓地の手前にある苗畠の左側からはいって、両方に楓を植え付けた広い道を奥の方へ進んで行った。 するとその端れに見える茶店の中から先生らしい人がふいと出てきた。(中略)
 先生と私は通りへ出ようとして墓の間を抜けた。依撒伯拉(イサベラ)何々の墓だの、神僕ロギンの墓 だのという傍らに、一切衆生悉有仏生と書いた塔婆などが建ててあった。全権公使何々というのもあった。 私は安得烈と彫り付けた小さい墓の前で、「これは何と読むんでしょう」と先生に聞いた。「アンドレとでも 読ませるつもりでしょうね」と云って先生は苦笑した。
(後略)

漱石が歩いた頃の雑司ヶ谷はまだまだ畑だらけだったのでしょうね。雑司ヶ谷は江戸の近郊農村で、「雑司ヶ谷かぼちゃ」「雑司ヶ谷なす」が有名だったそうですよ。東京都公文書館での展示で、江戸周辺農村の特産品としてこの2つが記載されていました。雑司が谷の大鳥神社には、ナスの説明もあります。(夏目漱石の話が茄子の話になってしまいました…)

東京都公文書館の図(東京都公文書館の展示より)

大鳥神社のなす(大鳥神社の掲示とナス)

二代目カープ女子

二代目カープ女子

長年編集に携わってきました。紙、Web、媒体は何であれ、コンテンツをどのように料理するか考えるのが好きです。 カープ大好きおばさん。球場で応援するのが、最大のストレス解消方法!


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